hippydonky212004-06-04

以前何かで宮台真司が人を殺してはいけない理由など
どこを探してもありはしないと書いていましたが
(もちろんだから殺していいという論理ではありません)
実のところ本当にそうかもしれないと思っています。
ある党ののお方達が大好きな道徳は高々集団内の規律に過ぎません。
だから殺していいという規律になれば人は躊躇なく人を殺し始めるでしょう。
オウムや過激なイスラム原理主義をあげるまでもないでしょう。
彼らの道徳は集団以外の人間は殺すことがかれらの道徳に準じたことなのですから。
道徳心のなさでは決してないことを肝に銘じるべきです。
小学生が好きだったバトルロワイヤルの集団内の道徳は
「殺して生きのびろ」です。
なら日本社会の社会道徳とは何なんでしょうか?
(道徳よりも高次に倫理が位置します。人倫とはと言う課題はいずれ)


本当に「何時殺すなかれ」なのでしょうか?
国家として死刑制度を維持している以上この命題は当てはまりません。
いったいに日本人は「人を殺してはいけない」という論理と
どうやって折り合いをつけていくのでしょうか。


養老孟司は「死の壁」の中で
殺すなの論理を「二度と作れない」という事実に求めます。
「他人という取り返しのつかないシステムを壊すことは、実はとりもなおさず
自分を所属しているシステムの周辺を壊しているということなのです。
「他人ならこわしてもいい」と身勝手な勘違いをする人は、どこかで
自分が自然というシステムの一部とは別物である、と考えているのです」


養老氏は解剖学者ですが
この文を引用しながらあの小学生達はひょっとしてカエルやフナの解剖すら
やらない子供たちなのではないかと思いました。
生命のそれこそ神秘を紙の上だけで教えられたのなら
案外人を殺すことに躊躇しないかもしれないです。
かけがえのない生命という概念が希薄なのですから。
ひょっとして道徳教育ではなく理科教育としての生命の問題かもしれません。