大マスコミは小学生殺人の理由探しに奔走しています。
何故?という問いに野次馬的に答えを得て納得したいのでしょう。
インターネットの書き込みがどうであれそれが殺人の動機として成立するとでも思いたいのでしょうか?
肩が触れただけで殺人に走る大人がいる以上殺す理由など千差万別なのに。
どんな理由であれ喧嘩ではなく殺人に向かうには
そこには超えられない、超えたくない壁があるはずなのに
それをひょいと拍子抜けするぐらい簡単に超えてしまう。
その心理と行動のあり方を見つけだすべきなのではありませんか?
子供は力のないだだのオトナです。
逆に子供には社会的制約がなく耐圧が低いのですから。


座らせ目隠しをし首を切るという力のない子供でも行える陰湿な殺人の動機は
ただのワイドショウのネタでしょう。
イラクアルカイダに殺されたアメリカ人のビデオの断末魔の叫びは今でも耳に残り悪夢にうなされました。見るんじゃなかったと思いながら逆に見るものに強烈に殺人への気持ちをなえさせる効果があるかも知れません。その反対もありかも知れませんが)
(それにしても加害者の子はう吹き出る血を浴びてもうなされずに寝ているみたいですね。うーん、わからん。彼女が悪夢にうなされるときが来るならば逆に更生できた時でしょう)


しかしながらあの学校40人ひとクラスで6年間同じ面子ですか?
好き嫌いの感情の激しい子供時代には致命的ですね。
20人ふたクラスに分けることもせず行政府は何考えているのでしょうか?
50年後には崩れ落ちる箱物ばかりつくり、教育という未来への投資のできない政治は文部科学省とともに粗大ごみとして埋めてやりたいものです。
また成熟した社会が実は個々人の側で腐敗臭を漂わせていることは
小泉「人生いろいろ」首相を見ればわかるはずなのに。
それにしてもつくづくあの人は運がいい人ですね。
月曜日からの小泉首相を支えるマダム達のみるワイドショウは年金国会ではなく小学生殺人ばかりでしょうから。