武装解除

hippydonky212005-02-02

asahi.comより
スーダンへのPKOについて、町村外相は1日の記者会見で「国連から話が来ているのは事実だが、まだ本格検討まではいっていない。関係省庁とこれから議論する」と述べ、自衛隊派遣が可能かどうかの検討に入る考えを表明した。和平合意後もスーダン西部のダルフール地方では紛争が続いていることから、自衛隊員の安全が確保できるかどうかが焦点となる。

 スーダンでPKOが実現すれば停戦監視や武装解除が中心となる見通しで、自衛隊がこうした業務を担うことになれば、01年12月のPKO協力法改正で凍結が解除された国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加に初めて踏み込むことになる可能性が高い。

 国連から正式な要請があれば、政府は現地の治安情勢などを確認するための調査団を派遣し、派遣の可能性を探る方針だ。

 政府内には、国連安保理常任理事国入りをめざす立場から自衛隊派遣に前向きな考え方がある一方、「スーダンは大変なところだ。どこにでも自衛隊がおつきあいするというわけにはいかない」(外務省幹部)といった慎重論も出ている。

 細田官房長官は記者会見で「国際的にもこれから様々な形で検討されると思う。国際的な状況を見た上で判断しなければならない」と述べた。大野防衛庁長官は「前向きに考えたいが、自衛隊として可能なことなのかどうかは検討してみないと分からない」と語った。 

自衛隊がいるところが安全地帯だと小泉首相はおとぼけましたが、やっぱりよくわからないのは安全地帯になぜ武装の軍隊を派遣するかということです。安全なら武装することなくNGOに任せればいい。本来危険なところにいくのが軍隊じゃないのかという当然の帰結が日本では通用しない。平和憲法の前文に乗っ取って世界のの平和を希求するなら武力で対峙する勢力に割って入って争いを止める。それが平和憲法下の日本という国に軍隊が存在する理由でありたい。そう思ってきました。丸腰の非武装でいられるほど世界は呑気ではないでしょう。しかし他国の脅威を声高に叫び、過去の自らの行いにすら居直る人たちの武装化論には与するつもりはありません。
自衛隊の安全?が保証されないといかないというPKO。なら行くところが武装化した自衛隊が行くべきところなどではないことは明白であるという矛盾。
本来派遣すべきでないイラクで戦争当事者に成り下がった日本は、武装した軍隊を平和憲法の下どうすべきかをちゃんと考える事をしなかった付けを払わせられることを認識すべきでしょう。
スーダンには非武装の軍事監視団に自衛隊の方が参加すべきじゃないかと。安全じゃないから行かないのではなく、安全じゃないけど争いを防ぎたい方はいっぱいいると思っているのですが。しかし政治家の思惑に利用されるのはまっぴらだと。



昨日産経新聞南京虐殺の証拠に耐える写真はないという某大学教授のどうしようもない発表を乗せていましたが、馬鹿丸出しですね。100%写真が偽物だとしましょう。なら写真のなかったときの歴史はどうやって記述されたのでしょうか。太平洋戦争の歴史が、アメリカの撮影した写真だけで記述されたのなら100%侵略戦争でしょう。彼らはそのことすら気づかないほど頭がどうかしているのでしょうか。全く彼らには庶民の記述を掘り起こして歴史を見直そうとしたフランスのアナール派の努力はばかげてお遊びと見えるのでしょうか。否定的な日本兵の証言だけを一方的に集めて歴史を語るのは、アメリカ人の証言だけ集めて、原爆投下の正当性が歴史的事実というようなものです。これを馬鹿といわずして何を言うのでしょうか。



追伸
ニューズウイークの日本版での世界の非常識NHKの記事が秀逸でした。