スペースシャトルの落日

hippydonky212005-07-27

YOMIURI ONLINE より
宇宙を目指した先輩たちの思いもスペースシャトルで運んでください――。26日、「ディスカバリー」で飛び立った野口聡一さん(40)には、日本の宇宙開発の原点であるペンシルロケットが託された。

 関係者らは「50歳を迎えたペンシルが、10歳も若い野口さんに連れられて念願の宇宙旅行に行けるとは」と感激している。

 ペンシルは東京大学生産技術研究所の故・糸川英夫教授が提案し、戦後の日本で初めて作られたロケット。その名の通り、直径1・8センチ、長さ23センチという鉛筆ほどの大きさ。

 1955年4月12日、東京都国分寺市で初の水平発射実験が行われ、同年8月には秋田県の道川海岸で高度600メートルに打ち上げられた。200本以上が作られ、日本のロケット技術の基盤づくりに貢献した。

 シャトルの乗組員は各自、記念品などの私物を一定量まで持っていくことが許されており、野口さんは、母校・東京大学の旗や日本人大リーガー7人のサイン入り野球ボールなどと共に、ペンシルを選んだ。

 戦後の物資が乏しい時代に宇宙への道を切り開いた日本のパイオニアたちに思いをはせ、数少ない現存品の一つを乗組員用の小型ボックスに収めた。

 糸川教授の指示を受けて設計を行った垣見恒男さん(76)は「これでペンシルの飛翔(ひしょう)距離が大幅にのびますね」と笑いながら、「すでにこの世を去った開発チームの仲間たちも、宇宙のどこかで見守っているはず。皆の思いを込めたペンシルが、野口さんの任務達成を助けてくれると信じています」と感慨にふける。

小学生の頃、本当にペンシルロケットをとばしていました。
ボールペンやサインぺンなどの容器を加工して、ブリキで作った羽根を付けたり、鉛筆キャップを加工して先端につけ、その中に小さなパラシュートを入れてとばすのです。
エンジンはロケット花火。先端に爆竹が入っているのでその力を利用して先端のキャップをとばしパラシュートを開こうというものでした。
爆竹を切って短くするのですが、量が多くて空中で砕け散ったり上に飛ばなかったり苦労しました。しかし50メートルくらい上昇し、見事パラシュートが開いたときは感動でした。胴体はやはり金属の筒を加工したものでしたが・・・。
それもいい思い出です。子供の頃からの夢を追い求め、実現した野口飛行士は本当にたいしたお方です。一途な方なんでしょうね。浮気しまくり自分とは違いすぎますです。