短信  (国際外交の老獪さ?)

hippydonky212005-10-08

東京新聞より
ノルウェーノーベル賞委員会は七日、今年のノーベル平和賞を、核不拡散に尽力したとして国際原子力機関IAEA、本部ウィーン)とIAEA事務局長のムハンマドエルバラダイ氏(63)に贈ると発表した。 

 同委員会は、授賞理由を「原子力エネルギーの軍事利用を防ぎ、可能な限り安全な方法で平和利用されるよう努力した」と説明。イランや北朝鮮の核開発問題が国際社会を脅かす中、「IAEAこそが核拡散防止体制を守り、核の誤った利用を防ぐ役割を果たしている」と高く評価。エルバラダイ氏は「果敢に、核拡散防止体制の強化に取り組んだ」とした。

IAEAイラクには核などないと言明したにもかかわらずイラクの核を理由に戦争に突入したアメリカ、ブッシュ大統領への当てつけ。と誰もがとらえているわけで、当然ノルウェーノーベル賞委員会も意識的にやったわけですが、今度は核査察でIAEA北朝鮮に乗り込むなら、ノーベル賞と言う権威を着ることができることで逆にアメリカに利用されるという皮肉も同時にあり得るわけで(多国間の枠組みを嫌うアメリカが逆に利用しやすくするってことでもあります)、こういうのがノルウェーの国会議員にはできても、頭が硬直的な我が国の議員さんたちや外務省にはきっと理解ができないんでしょうね。


それよりも同じく東京新聞の記事より

命ある限り『核廃絶
ノーベル平和賞逃すも

 国際原子力機関IAEA)とエルバラダイ事務局長が受賞した、今年のノーベル平和賞。地元テレビ局などは、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)をIAEAなどとともに「有力候補」と伝えていた。今回のノーベル賞は逃したが、事務局長の田中熙巳(てるみ)さん(73)は「最後まで有力候補に残ったと聞いている。私たちの運動が評価されたと確信した」と述べ、核兵器廃絶に力を尽くすことを誓った。

 戦後数年間は被害が表に出ることはなく、親や財産などを奪われた被爆者は、心や体に深い傷を負い、孤立した生活を強いられた。田中さんも長崎の爆心地から約三キロのところで被爆。目立った後遺症こそないが、「子どもの鼻血がとまらないのは私のせいかもしれない」などと、ずっと不安に悩まされ続けた。

 被爆者の唯一の全国組織である被団協は、一九五六年八月に結成。八四年、被爆者運動の“憲法”とされる「原爆被爆者の基本要求」をまとめ、原水爆禁止や援護法整備、遺族や家族の生活補償などを求めた。翌年は全国一万三千人を対象に「原爆犠牲者調査」を実施。被爆四十年での被害実態を明らかにした。

 近年、被団協は月額約十四万円の医療特別手当などが受けられる国の「原爆症」認定へ向けた取り組みに力を入れる。被団協の呼び掛けで二〇〇三年四月から、認定を求める集団訴訟を開始。原告は全国十二地裁の百六十八人に広がった。

 海外でも活動は展開され、国際会議などで代表団が「放射線による苦しみは死ぬまで続く」と被爆体験を訴えた。保有国の度重なる核実験にも抗議してきた。こうした活動が高く評価され、今回を含め四度ノーベル平和賞候補に推された。

 被爆から六十年。田中さんは今の国際情勢を「依然、核兵器はなくならない。(イランや北朝鮮などで)むしろ核をめぐり緊迫している」と懸念する。その一方で、「それでもイラク戦争後は、あの米国でも最近、国民の間で原爆投下が正しいという認識はぐっと減っている。ブッシュ大統領の強権的なやり方にも疑問を持ち始めている」と少しずつだが変化も感じているという。

 一方、個人で受賞候補とされた、被団協の代表委員山口仙二さん(75)=長崎県小浜町=は、IAEAに「人間の地獄を現出したといわれる原爆による悲劇を二度と繰り返さないように、どこの国にも遠慮せず、頑張ってほしい」とエールを送った。

 受賞こそ逸したが、世界から高い評価を受けたことに変わりはない。被団協の会合で演奏をしたこともあるシンガー・ソングライター小室等さんは「被爆体験の風化が指摘されている時であり、ノミネートされただけでも大きな意味がある。世界の指導者は被爆者の声に謙虚に耳目を傾けるべきだ」と話す。

 田中さんは「被爆者は高齢化している。だが命あるかぎり、核兵器廃絶のため、そして原爆被害者に対する国の補償を実現するため、全身全霊で打ち込みたい」と決意を新たにしている。

惜しいです。
あまりに素直すぎるのは国際政治に利用しにくいってこともあるでしょうね。