hippydonky212004-05-02

訳あって通勤経路を一時的に換えて数日になります。
地下鉄を降りバスターミナルへ向かう地下街。
朝のまだシャッターの下りている商店の前にホームレスの方々が
しばしの安全と安らぎを求めて眠っています。
通勤通学の人たちはあたかもその人たちが存在しないかのようにして
通りすぎていきます。



学生の頃、酔った勢いで街のホームレスの人たちと酒盛りをしたことがあります。
道路に座り込み、話していると通り過ぎる人たちの足元しか見えません。
早足で通り過ぎる人たちにとってわれわれは道路に打ち捨てられたようなごみのような存在でした。
汚いものを見たくないという人と、鋭い眼光で一瞥する人たち。
彼らにとってわれわれは街の粗大ごみであって人ではありませんでした。
迷惑千万などうでもいい存在なのだと。
人としての歴史がなく存在するだけのものでした。



はるうららという何連敗しようが賢明に走る(走らされている?)馬が大人気です。
はるうららには何十連敗という負け続けた歴史があります。
そしてそれでも走り続ける今があります。


ホームレスの人たちにも負けた人生の歴史があります。
走りたくても走れない今があります。
(走りたくない人もいますが、それも人生です)



かさかさに乾ききった日本という現実で
それでもわずかな潤いを求めてはるうららを応援していますか?
あなたの声援ははるうららの負け続けた歴史の背景に溶け込む人たちへの
声援にもなっていますか?



*今日の1冊
「ニューヨーク底辺物語」
NYでホームレスとして生活した日本人が見て感じたありのままのアメリ

境 セイキ     扶桑社