「マス・ヒステリーの研究」

hippydonky212004-07-11

参議院選挙の投票日です。
参議院の選挙区は広いせいか選挙カーにはほとんど遭遇せず静かな雰囲気が街には保たれ喜ぶべきことです。選挙のときばかりは自民党から共産党までが街宣右翼さながらの様相ですが、参議院だけは唯一の例外です。
スピーカーから大音量で候補者の名前を連呼したってどうにもならないことくらいみんなわかっていても、自らが率先してやめることができない行動力のない候補者には、本当は投票したくはありません。横並びでしか物事を考えられない人に未知なる世界への希望を託せるでしょうか。そういう意味で言えばどの人だろうと政治家という存在はどうしようもないだめ人間の集まりなのでしょう。自己責任の取れない人ばかりが自己責任を叫ぶいやな世の中です。



儒教的恋愛しか描くことのできない韓国の恋愛ドラマが、はすっぱな恋愛しか描けない日本のドラマに取って代わっても別に驚くべきことではありませんが、「冬ソナ」や「セカチュウ」やネット的「電車男」の奇妙な純愛ブームが、ワイドショーおばちゃんたちから「純ちゃん」ブームを消し去る契機になるとは思いもよりませんでした。身代金を払ってまで選挙前に演出した家族愛はむしろどっちらけの様相です。「冬ソナ」おばちゃんは「純ちゃん」からはなれ、「セカチュウ」世代は選挙など行きもしないでしょう。
そして「電車男」に共感するおせっかいでも心配性な人たちの、そしてきっといい人たちが、傍観者から自らの主体を演出し始めるとき、その投票行動を通して主役になる日はいつでしょうか?