短信  (あほくさいけどちょっとだけ前日の続きを)

あほくさいけどちょっとだけ13日の続きを。
ドイツのアウシュビッツガス室なかった派の面々の方々の議論から。
実のところドイツ降伏後にアウシュビッツに入った連合軍の調査団は、そこで殺された人々の死因のほとんどは実は餓死であり、死体の中に青酸化合物による死の顕著な特徴を示すものが見つからなかったという報告書を出しているようです。(この話の報告書を実のところ読んではいません。ある本の中からの知識ですが、今はこれが真実であったかなかったかのお話ではないで真偽論争はご勘弁を)これをもってしてある種の主義の方々がガス室はなかったと主張し始めました。がしかし彼らもガス室はなかったが、ユダヤ人の虐殺はなかったとはとても主張できるものではありませんでした。収容所に隔離し餓死させた現実はあらゆる人々が認めるところだからです。死者数は別にして。
さて日本の南京虐殺はなかった派の議論の展開はどうでしょうか。
「平時に1人殺せば殺人犯ですが、戦時に百人殺せば英雄」の言葉どうり、実行できたかどうかはともかく「俺は百人殺した」と豪語した二人の軍人がいました。その事実が鈴木明氏の最初の検証によってその話は、英雄を気取ったお二人のほら話に過ぎなかっただろうと結論付けられたわけですが、そこで鈴木氏が誇大妄想にもその報告書の題を「南京大虐殺まぼろし」などとおとぼけた題名にしたものですから、その本すら読まない頭の弱いお方たちが「南京の虐殺はなかった」と騒ぎ出したわけです。さてさて・・・。(鈴木氏は続編を書いていますが、中国政府の宣伝と取るあまりお馬鹿な論理的飛躍をなさっています。どうしようもないけど)
さすがにドイツでもガス室はなかった=ユダヤ人の虐殺はなかったとつなげられなかったわけですが(最低の良心は働いたと見えて。働かなかった方も当然いますが)、日本ではどうも百人斬りはなかった=南京虐殺はなかったと脈絡もなくつないだわけで、いまその方々がお騒ぎになっているわけです。(当然最低の良心さえお働きにはならなかったようですが)(今ここで殺された人数を考察することは無意味でしょう。しかしなかったわけでは当然ありません。)(韓国の殺人鬼が二十数人を殺したと豪語しましたが死体は数人規模しか出てきませんでした。さてあなたはこの人を殺したと言った人数と証拠の人数が合わないから無実と判決するのですか?)
ちんけなナショナリズムがその方々の自己実現のよりどころなんでしょうが、こればっかりは困ったものです。
(もうひとつお馬鹿な想像力に付き合えば、こんなのもあります。
「百人斬りなんてできるわけない。軍刀は5人も切れば刃こぼれすると」
あああ、自分の貧困な想像力を暴露しているわけですが、実のところ本当に鍛え上げられた日本刀なら5人や10人の首をはねようと刃こぼれなどおこしません。自宅にあるだろう魚を3枚に下ろしただけで使い物にならなくなる安物の出刃包丁といっしょにしないほうがいいと思いますが。もっとも百人斬りはほら話なのですからそんな考察はいりませんが)