短信  (責任の所在は?)

asahi.comより
イラクバグダッド市内で30日夜(日本時間31日未明)、首を切られたアジア人男性の遺体が見つかり、政府は31日朝、イスラム過激派グループ「イラクアルカイダ機構」に拘束されていた日本人旅行者、香田証生さん(24)と確認した。町村外相が同日午前に記者会見し、「大変残念なことに、これが香田さんの遺体であることを確認した」と語った。

 遺体から採取した指紋が、香田さんのものと一致したという。町村外相は「(香田さんが)テロの犠牲になられたことは誠に痛恨の極みであり、ご家族に心からのお悔やみを申し上げたい」と述べた。さらに「今回のテロは卑劣きわまりない行為であり、強い憤りを覚える。断じて許すことができない」としたうえで、「テロに屈する形で自衛隊を引き揚げることはしない」と述べた。 

もっとも残酷な形で結末を迎えてしまったことは残念でなりません。
テロに屈する形で自衛隊を引き上げるのはやはり正しい選択ではないでしょう。しかしもともと間違った選択の果ての結末を政治の側が引き受けるという覚悟がこの内閣にはあるのでしょうか?選択の誤りの自己責任を放棄し、単にテロに憎しの世論を形成することが更なる選択の誤りを生み出す、その悪循環に陥っているのです。(テロとの兼ね合いによる政治としての選択肢はおそらくありません。しかし撤退させるべき理由はいくらでもあります。それをしないという選択の責任も政府にあります。)
かつて「人の命は地球より重い」と語り、その決定の責任を引き受けた政府を持つ日本人は、こうまで無責任な内閣を放置する覚悟はあるのでしょうか?その責任を引き受けるのは、使命感が強く、世界の端々で努力し、日本を引き受けている一人一人の日本人であることを(外交官であれ、民間人であれ、そして旅行者であれ)憂慮するわけです。
自衛隊派遣の責任を内政的にも国際的にも引き受けず、国会休会中にイラク派遣命令を姑息に延長しようとする小泉内閣に託す未来などないことを改めて思う次第です。
「人の命を軽んじる政府をこの国は持たない」と語ったフィリピンのアロヨ政権との違いだけがこの国の未来を語ってしまうのです。

共同通信より
東京都は31日までに、中学生以下の子供たちが安易な性行動で性感染症にかかったり、妊娠したりしないよう、保護者に対する努力義務規定を条例に盛り込めないか、本格的に検討する方針を固めた。11月2日に都青少年問題協議会(会長・石原慎太郎知事)を開き、諮問する。
 インターネットの有害サイトなどから子供たちを守る方策も検討してもらう。来年1月の答申で、都青少年健全育成条例の改正が提言されれば、2月中にも開会する定例議会に改正案を提出する考えだ。
 都によると、保護者の努力義務規定は、子供たちの性行動を規制するのではなく、性に関する規範を示すのが目的。罰則は設けない。

「寝て子を起こすな」といって性教育を糾弾した側が、性教育を施さない親を糾弾すると言うこっけいな結末を誰が予想したでしょうか。