短信  (選択の責任を引き受けるということ)

hippydonky212005-09-12

asahi.comより
 小泉自民党が、最大野党・民主党を大きく退け、圧勝した。雪崩を打つような勝利は、小泉政権が誕生した直後の01年参院選のようだ。有権者は首相に「郵政改革」を託した。しかし、この国の課題は多い。増え続ける財政赤字少子高齢化への不安、年金、福祉への不満が広がる。平和や外交の先行きも不透明だ。有権者は無条件で首相にすべてを任せたわけではない。託された一票には様々な思いが詰まっている。

民主主義というのは、自分の選択だけでなく他人の選択の結果をも引き受けるということ。そのことを肝に銘じられた結果ですね。ただ「強いリーダシップ」を待望するなどという他人に自己の運命の選択を野放図にゆだねることの愚かさからはもういいかげん解放されねばと思うのは僕だけでしょうか。強さという言葉は強欲とか強権とかいってきわめて危ないものだっていう認識を日本人は持っていたと思っていたのですが、指導者の強さを求めることの自己の矮小化だけがここ数年で進行したとするなら、矮小化された人間のマゾ的選択傾向や勝ち馬に乗る指向が利用されたにすぎないってことですか。むむ。
自民党は大衆の愚かさを操り、民主党は国民の考える能力に賭けたわけですが、負けたのは、後者だったというわけです。
野党がだらしないという言説が目立つので一つだけ。
選挙というのは野党にとっては政権政党に対して常に政権担当能力とかいうありもしないハンデ戦を強いられるわけです。ましてや今回はマスコミが公示前に与えたハンデは及びもつかないものでした。

ともかく
民主主義というのは、自分の選択だけでなく他人の選択の結果をも引き受けるということ。
もちろん受動的か能動的かの選択は自分自身にありますが。



★J憲法&少年A★さん  http://pdo.cocolog-nifty.com/happy/
のところから次の言葉を拝借。
「国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」

――映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」より