短信   (極悪非情な国の現実は人情深い社会?)

asahi.comより
北朝鮮から日本政府が持ち帰った遺骨が横田めぐみさんのものではないと鑑定されたことについて、両親の横田滋さん(72)と早紀江さん(68)は9日午前、東京都内で新聞、通信各社の共同インタビューに応じた。滋さんは「13日に正式な鑑定書が出ると聞いている」と明らかにした。

 8日夜、夫妻はめぐみさんの弟2人と夕食をとり、めぐみさんの「生」への希望がつながったことを「よかったね」と喜び合った。滋さんはめぐみさんの写真に「別人の骨だったよ。安心した」と心の中で語りかけたという。

 滋さんは「北朝鮮は遺骨が鑑定不能だと思って出してきたのだろう。夫が骨つぼに入れていた遺骨に、妻ではない他人の骨が混ざる余地はない。別人と鑑定された以上、夫とされる人物が本人かも疑問だ」と語った。

 今後について滋さんは「北朝鮮に制裁してほしい。日朝交渉が一時とだえることになるかもしれないが、拉致問題解決のためには必要だ」と話した。 

人間の心理としてましてや肉親の心理としては生きていてほしいに決まっていますが、専門家と称する人たちからその言葉が出るとなぜか不思議に感じてしまうのです。
こうは考えないんでしょうか。
生かしておく必要が無くなったから収容所送りになり死亡。そこで死んだ人と一緒に火葬。多くの人たちと一緒にに焼いたために本人のものだけ取り出せず、取り出した骨を適当に二度焼きして出してきたと。
よくわからないのはたとえ生きていたとしても今の体制で生かしておく何らかの理由がどこにあるのかと。いやむしろ北朝鮮に今の体制が続く限り、どんなに偉い人間だって粛正される社会ですから、逆に殺してしまって遺骨を出してきた方がどれだけ体制に有利かと考えれば、そうしない、そうできない理由を考えるべきかと思うのですが。
北朝鮮が極悪非道な政治体制と皆が思っている中で、肉親の希望でなく専門家としてコメントする人たちが、たかが日本語教師をそうまでして生かし隠す必要をどこに見いだしているのか教えてほしいものです。
経済制裁のことがとりだたされていますが、本当に本人の骨だったらどうするのでしょうか。素直に出してきたから制裁しない?やはり殺していたから制裁?結論ありきの議論からは何も生まれないと思いますが。
国民受けのコメントをはく専門家たちや大マスコミのそれこそノー天気な頭の構造をかいま見た次第です。あえて今非情にも事実を見据え、まともに分析できる人はいないのでしょうか。自衛隊派遣のレトリックと同じ現実という幻想がなぜこの問題にもに適用しないのか、いやさせないのかはここ一番で発言する政治家の脂ぎった顔を見ればよくわかりますです。