「世界がもし100人の村だったら」

asahi.comより
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)は6日、東京都内で支援団体「救う会」と合同会議を開いた。拉致問題を解決するため、北朝鮮に対する経済制裁実施を小泉首相に求め、実施しない場合は「首相の姿勢を糾弾し、決断を迫る」という趣旨で4月24日に東京で「国民大集会」を開くことを決めた。

 横田めぐみさんのものとされた遺骨が別人の骨と鑑定されたことなどを受けて日本政府は昨年12月24日、「北朝鮮に迅速かつ誠意ある回答を求め、対応がない場合、政府として厳しい対応をとらざるを得ない」と表明した。

 家族会などは「北朝鮮は日本の鑑定結果を『捏造(ねつぞう)』と開き直り、『迅速かつ誠実な対応』はしていない。制裁を発動しないと『日本は拉致問題を重視しない』というメッセージを内外に発することになる」と主張。政府の態度表明から4カ月となる4月24日までに首相に制裁実施を迫ることを決めた。

近所のどうしようもない暴力親父を持つ子供に対して自分の親が、そこの家の子供も悪だから徹底的に無視していじめてやりなさい。っていう。またそういう親の言葉を聞いて、あそこの親は本当に立派な親だって思う人ばかりならもう何も言う必要はないでしょう。
世界が100人の村だったらいう想像力は、単なる優越感のための品性のない想像力にいつから与したのでしょうか。
「アジア村という小さな村がありました。そこには中国という大きな大家族の家と、小さくても豊かに暮らしている日本とそのライバルの韓国とそしてそしていつも他の人と争うばかりしている北朝鮮という家がありました。」
こうやって物語を作ってはいかがでしょう。そして日本という家の家人の行動をこんな大人になりなさいという物語を作って子供に読み聞かせられることはできますか。

その家人の行動原則は
殺人鬼の親を持つ子供も同罪だから徹底的にいじめること。
彼らのいうことは嘘ばかりだから常に嘘つき呼ばわりすること。
お腹をすかせたその家の子供を見かけようと一切の食料を与えないこと。
等々
書いていていやになりますね。
殺人鬼はいずれその村の属するルールでもって裁かねばならないし、被害者の人権は尊重しすぎるほどでも足らないかも知れません。しかし現実に照らし合わせばアジア村の物語は決してできのいいものにはならないでしょう。
外交とはいかに他国にいやなことをやらせるかにつきます。
あなたが他人に、それも憎悪の対象でしかないしかない隣人に、どうすればこちらのいうことに耳を貸し、多少でも仲良く暮らせるかを自らが考えれば・・・。
これが100人の村の想像力なのではないのですかと。