短信  (無知は犯罪であると認識すべき人たち)

毎日新聞より
薬害エイズ事件
「85年血友病」松村元課長、無罪確定へ 検察側が上告断念

 薬害エイズ事件で、エイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱製剤の回収を怠ったなどとして2件の業務上過失致死罪に問われ、1、2審で1件を無罪とされた元厚生省生物製剤課長、松村明仁被告(63)について、検察当局は6日、上告を断念する方針を固めた。一方、松村被告側は有罪部分を不服として同日、上告した。刑事訴訟法上、無罪部分の変更を求めるには検察側の上告が不可欠なため、最も大きな被害を受けた血友病患者への投与について刑事責任を問われた85年の事件は、無罪が確定する。

また

判決は85年の事件について1審と同様、「(加熱製剤が承認された)85年末までは、(検査で)HIV抗体が陽性であると判明しても、それが将来にわたってHIVに感染し続けることを意味することさえ(医学者の)共通理解になっていなかったので、製剤の危険性を予見できなかった」と述べた。
 86年の事件については「85年末ごろまでには血友病関連のエイズ患者5人が認定されるなど生命への高度の危険性を認識できた」と判断。製薬会社に製剤の回収や販売中止を命じる権限や義務があったことを認定した。

少しだけエイズの歴史を戻ってみましょう。
ゼロ号とされる患者が確認されたのは1980年です。
もちろんアメリカで公式にエイズの流行が始まったとされるのは1978年です。
1981年にはCDCがカリニ肺炎などの5つの重篤な肺炎の症例を発表。
1982年にはヨーロッパで今の形のエイズが出現しています。
血友病患者にエイズの発症例が見られたのはその前の1979年です。
1982年にはエイズがウイルス感染によるものとCDCが断言。
1983年には血友病患者のエイズ血液製剤によるものと当然認識され、数日間60度以上に熱せられた血液製剤でもエイズを伝染させる能力があることが発砲されています。
1984年にはウイルスを単体で分離、検査法も確立しています。


どう考えても
「(加熱製剤が承認された)85年末までは、(検査で)HIV抗体が陽性であると判明しても、それが将来にわたってHIVに感染し続けることを意味することさえ(医学者の)共通理解になっていなかったので、製剤の危険性を予見できなかった」訳はなく、医学雑誌のみならず週刊誌を読む一般の人たちにさえ、エイズHIVの感染よってもたらされ、それが死に至る病であることは84年の段階でもうとっくに一般の人たちにも知れわたっているのです。それなのに医学者の共通の理解になっていないわけはありませんし、83年には非加熱製剤どころか当時の加熱製剤においてもHIVの感染が確認されているのです。ましてや最前線のCDCの週報に接することのできた人間にわからないわけはありません。
「85年末ごろまでには血友病関連のエイズ患者5人が認定されるなど生命への高度の危険性を認識できた」のは単に日本の状況にすぎません。疾病に国境があるわけもなく、全く問題外の内容です。


人の生命に関わる人にとっては無知は犯罪であることを改めていいたいと思います。