短信  (人を責められるほど清く正しくはありません)

時事通信より
 JR福知山線で脱線電車に乗り合わせたJR西日本の運転士2人が負傷者を救助せずに出勤した問題で、2人から事故の連絡を受けた電車区の当直係長2人がいずれも、詳しい状況を確認せず、現場周辺の電車を止めるなどの対応も取らなかったことが4日、明らかになった。同社は「鉄道マンとして基本ができていない」と判断ミスを認め、陳謝した。

一通り皆様に責められたJR西日本。まあ残って救助活動をするって言うのは当然です。そして本当に善意の第三者の活躍で救われた人も多いことでしょう。
事故の脇にある日本スピンドルという東証1部上場企業は、工場を休止して従業員に救助に当たらせました。その企業の株。2日の株式市場で10%の値上がりだったそうです。正義感に燃えた社長へのご祝儀相場。こんなご祝儀相場もともかく今人として何をすべきかを評価したものでしょう。その意味でJRの社員は責められても仕方がありません。しかし上司のお伺いを立てるほど飼い慣らされているとはそちらの方が驚きです。


少し私事を。
先日久しぶりにあった友達と大衆酒場で飲んでいました。帰りの駅への道すがら、歩道の端に女性が倒れていました。そしてその子を心配そうに世話を焼く連れの女性。そこは人気の飲屋街。かなりの人の行き来がありました。しかしその二人を見つめる人たちの目は「どうせ飲みすぎで酔っぱらっているのだろう」というまなざしです。誰も気にとめませんでした。さもめんどくさそうに二人をよける電話中のサラリーマン。
しかしどう見てもやばそうな雰囲気でした。そして・・・。


話は数年前に戻ります。午後の日差しがまぶしい正午頃です。街中ですが人通りは多くはありませんでした。当時つきあっていた女性との待ち合わせに遅れ、早足で歩いていたときです。前方の街路樹に木の下でお腹を押さえてかがみ込んでいる女子高生がいました。苦しそうでしたが行き交う人は誰も声をかけません。そして僕も声をかけませんでした。しばらく行き過ぎ振り返るとやはり苦しそうにかがみこむ女子高生の姿がありました。しかし僕は誰かが声をかけるだろうとそのまま通りすぎました。
待ち合わせの場所に着いても、無視をしたくせにあの女子高生の姿が気になって仕方がありませんでした。そして喫茶店の従業員の注文取りに促されるように「ちょっとごめん」と喫茶店を飛び出しました。走ってたどり着いてみるともうその女子高生の姿はありませんでした。
「ああ誰かが声をかけてくれたんだろう」と思いました。
そしてすっきりしない思いは時の流れとともに当然忘却の彼方へ・・・行ってはくれませんでした。
(彼女に聞いてみるとたぶん生理痛よ。そういう人いるからと)


僕に歩道の二人組に声をかけさせた勇気?は、あのときの女子高生の苦しそうな後ろ姿だったと思います。
女性を背負い、近くの救急病院へかつぎ込んだのはそれからしばらくしてです。
(やはり急性アルコール中毒でした)
女性の嘔吐物でブレザーも汚れ、少し酸っぱい臭いのする首すじのため、交通機関に乗るのも遠慮して、2時間の道のりを歩いて帰りました。不思議な自己満足の高揚ととともに。



今回救助に参加せず、出勤したJR西日本の運転手さんたちもきっと後悔の念にさいなまれているでしょう。今回のように107人もの死者を出した事故です。そして彼らと同じようにその場を離れた人もいたでしょう。そしてその人たちもきっと・・・。
もちろんJRの社員としてよりも彼らは人としての責め苦を味あうのでしょう。被害者の家族は怒って当然です。
(JRの二人は処分されるのでしょうか。たぶん処分されるのがいやで勤務すれば、勤務したらしたで処分されるってどうなんでしょう)
しかし、僕個人は責める言葉を持ちませんでした。
あの女子高生の背中が自身の言葉を飲み込ませます。
僕とて過去の出来事がなくても、あの事故に遭遇すればたぶん救助に参加したと思います。しかし、今自分一人で人が苦しむ場面に遭遇したら・・・。誰かがやるのではなく自分がやることを思い描けるのか。僕は再び女子高生の後ろ姿と格闘するに違いありません。