万博は交流の場でした。

hippydonky212005-09-26

中日新聞より
愛知万博閉幕
2200万人に思い出刻む


「自然の叡智(えいち)」をテーマにした愛・地球博愛知万博)は二十五日、長久手(愛知県長久手町)、瀬戸(同県瀬戸市)の両会場とも百八十五日間の日程を終えて閉幕した。日本では一九七〇年の大阪万博以来、三十五年ぶりの総合的な国際博覧会。三月二十五日の開幕日からの入場者総数は目標の千五百万人を大きく上回り、二千二百四万九千五百四十四人となった。「地球的課題の解決」を前面に打ち出した二十一世紀最初の愛知万博の志は次のサラゴサ万博(スペイン、二〇〇八年)、上海万博(中国、一〇年)へと受け継がれる。

 閉会式は午後一時五十分、長久手会場のEXPOドームで始まり、関係者ら約二千二百五十人が出席した。博覧会協会の中村利雄事務総長が開式の辞を述べ、豊田章一郎会長は「この博覧会が果たした役割は実に大きく、万博の輝かしい歴史に新たな一ページが加わった」とあいさつ。小泉純一郎首相は「ものを大切にする『もったいない』という心が世界中に広がり、人間と自然が共生する新しい社会が実現してほしい」と語った。

まだまだ言いたいことはたくさんあっても政治の季節が終わり少し視点を元に戻してみようと思っています。



名古屋に住む人間として地元開催の万博には暇を見つけては?(暇を無理矢理作っては)足を運びました。
元々万博が予定されていた瀬戸市にある海上の森は瀬戸物のための土をとり荒れていたところを木を植え、賢明に自然に戻した里山があるところ。そこをつぶして跡地には住宅建設をするというとんでもないプラン。当然反対運動の末席に加わりました。
BIEが万博が地雷を踏んでいるという発言が中日新聞にすっぱむかれてから流れは変わり、隣の長久手にある青少年公園が場所に選ばれた。そのことを契機に反対から参加へと舵が切り替わりました。万博は当然土建利権の最たるもの。それでも何かできることがあると参加に踏み切る市民団体との交流の中にも身を置きました。



万博も終わりそれなりに感慨深げです。日記の端っこにでもこれから少しずつみてきた万博を書いてみたいと思っています。
そして僕はこのところのネットを覆う嫌韓や反中の流れに対して、万博をこよなく愛し、最終日の夜のゲートで帰りたくないとだだをこねて泣いていた子供たちや韓国館や中国館の前でアテンダントの人たちと交流を重ねる人たちの輪がこの流れにきっと抗してくれるだろうことを確信しています。バーチャルではない人とのふれあいこそが力になると確信しているから。


写真はフィナーレを迎えたアフリカ共同館の前にあるステージです。アテンダントも観客も入り乱れてのお祭の最終を迎えたところです。